| =贋古伊万里そして= |
| ここまでは、まあまあ順調だった。しかしそうもとんとん拍子に行かないのがこの世界、自分だけは大丈夫とのおごりがあったのかもしれないが、やはりまんまとはまってしまった事がある。 それは忘れもしない九月二十一日、京都は東寺の弘法市での事だった。幼馴染でもあり、骨董仲間でもある友人二人と、前夜から出かけて、道中、骨董談義に花を咲かせたため、睡眠不足もあったのかもしれない。小雨が降っていたのも理由のひとつかもしれない。まさか弘法様のお膝元にそんな悪いやつはいないだろうとの甘えがあったのも確かだ。 そんないろいろの言い訳に「ばーか」と後ろ足で砂をかけて、平気で屁をかませるような人間がいたとは恐れ入った。 |
| それは今から思うとなんとも変な店だった。青いビニールシートに初期のそば猪口を二十個ほど並べて、更にその奥にこれまた初期の皿を十枚ほど並べていた。「うわ〜こんなに初期がいっぱいさすが京都だなあ。」というのが第一の感想だった。その親父にとったら私ら田舎者は格好の餌食に見えたことだろう。その親父「これはわしが二十年かけて集めたものや、バブルがはじけて売らなあかんねん。」などともっともらしい講釈を並べて、、、。 こちらとしたらもう宝の山を見つけたような気分だったから、真贋を見極めるどころではなく、いい図柄探しに一生懸命あるのみだった。その中から、菖蒲文と網目文のそば猪口を選んで、五万円のところを四万円に値切ってホクホク気分だった。 更に悪い時に悪いことは重なるもので、伊万里にはあまり詳しくない連れの一人が、私に釣られて俺も、と、ばかりに猪口を二つ買ってしまった。 暫く歩いて胸騒ぎと共に私が冗談を言った。「こんなにたくさん初期があるなんて信じられん。あのおっさん自分で作っているのと違うやろか?」その時は三人の笑い声で吹き消されたのだが、、、。 |
| その日は午後から、新門前町をぶらぶらして、(その話は後でさせてもらう。)夜は、いい買い物ができたのでおめでとうの乾杯で締めくくった。 次の日は大阪へ行った。かねてより馴染みのH店で、昨日の掘り出し物の話をし終わるや否やのところで、主人の顔色が曇った。もうその時点で小市民の私にはピンと来た。 それから先は 、さらし者だった。「従業員の後学の為に見せておきます。」とみんなを呼び集めその中で、贋古伊万里と、欲に目がくらんだコレクターのお披露目会が始まった。針のむしろとはこのことを言うのだろう。さすがに性根に入った。嫌というほど。それと同時に東寺の親父に対する恨みがこみ上げてきた。それでも小市民はなすすべも無くシュンとして帰路に着くしかなかった。せめてもの救いは一緒に買った連れが私を恨まなかったことくらいだった。 その店で体裁を繕う意味で、買った杯洗です。苦みばしったいい味です。 |
今思うとおかしな点が何点かある。
などと数え上げればきりが無いが、大事なのは欲に目がくらまないことと、どこででも買わないこと。自分はまだまだ目が見えないと思うこと。すなわち目利きだとうぬぼれないこと。と、これも上げだしたらきりが無い。ともかくそれ以来ますます小市民になってしまった。 ここでその親父の似顔絵でも載せたいところだが、小市民ゆえ、今日のところは、これぐらいにしといたる。 |
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| せめて半額ででも引きとってもらえはしないかとの甘い考えで N店とU店にその猪口を持っていったが、慰めの言葉をかけてもらっただけで一銭にもならなかった。当然のことだと思う。自分の尻拭いは自分でしなければ誰もしてくれない、つくづく厳しい世界だと思った。 それから半年余り伊万里が全く見えなくなってしまった。すべてが贋物じゃないかと、疑ってかかるようになってしまった。最も信頼しているN店の品物でさえ、まず疑いの目で見てしまうようになってしまった。N店のご主人「それが普通ですよ。そのくらいの気持ちでいたほうが安心ですよ。」となだめてくれたが、(本当はそんなこと思ってないんだろう。腹の中ではざま−みろと笑っているのだろう。)などといい人の心さえも信用できなくなってしまっていた。 いやはや、この小市民には困ったものだ! 今でもその猪口は戒めにと、よく見えるところに飾っている。 |
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| 気晴らしに近くであった骨董市に出かけてみた。 そこそこの皿を並べている店のご主人に話し掛けてみた。「いい品物をお持ちですね。」その主人「ちょっと時代は下がるけど、その分値段も下げています。」、、、?ちょっと待て、これみんな贋物や。時代が下がるどころか平成や、、、。思い切って言ってみた「最近のこの手のものは良く出来ていますね。」するとご主人「本歌のものより良く売れる。百年も経てば分からなくなる。」とまじめな顔で返事してくれた。それでもその主人、時代が下がると教えてくれただけまだ良心的なのかもしれない。何も知らずにたくさんの人が買ってしまったのだと思うと、なんとも複雑な気分になってしまう。 ますますこの世界が怖くなってしまった。 |
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| その骨董市で何故かはじめて備前焼手桶をを買った。 何か買いたいという気持ちは萎えてなかったのだろう。それでも伊万里は怖いから手をつけられない、備前の新物だったらまず贋物は無いだろうと、庭に蹲を作ったから、その脇に置くのにちょうどいいなと、本当は何でも良かったのかもしれない。 最初は変わった新入りを大事にしていたのだが、そう安いものでもないので、庭に置きっぱなしもちょっと怖い、それならお客さんがきたとき以外は部屋の中でということになったのだが、当然のごとく今では浮いてしまっている。ただそんな時代の証人として手放してはいない。 |
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